学 園 催

1stアルバム解説・制作記

1stアルバム『陰陽師』の製作から
未来へ向けての全ての歴史を綴っています
本アルバムは、陰陽師の都「京都」を舞台に
「占い」「呪い」に纏わる物語をPOPにまとめ
そのゆかりの地を巡礼するコンセプトアルバムとなっています。

カテゴリ『楽曲解説』 21件の記事を新着順に表示しています

2007.08.18
夏も後半に入った。
本アルバムの歌曲「丸竹夷」は、
ちょうど今頃の情景を表した歌曲である。
丸竹夷とは京都の通り名を覚えるための「わらべうた」である。
夕方時に京町屋の路地からこの歌が聞こえてくる。
わすれかけてた事を思い出させてくれるかのようだ。
人はみな、初めは純粋だった。
その頃の気持ちに帰らせてくれる、そんな一曲である。
2007.08.11
盆が近づいてきた。
夏はとりわけ心霊現象のイメージが強い季節である。
霊という観点からすれば、季節に関係なく存在しているだろうに、
なぜか夏に一番よく採り上げられる。
これはやはり「涼」を求める精神から来るものなのであろう。
霊を神秘的に捉えているというよりは、
一種の風物詩として捉えている感覚があるように思う。
存在が定かではない霊に、何かしらのロマンを求めているのかも知れない。

本アルバムの歌曲にも心霊的なサウンドが数多く含まれている。
それは本学園が呪術都市「京都」に存在している事にも由来しており、
そのことが情景を楽しむ歌曲に仕上がっていった要因にもなっていると思う。
人間の肉体はいつか、きえゆくものであるが、
精神は何かしらの形式で残るという説が多い。
本アルバムはそういう精神に何かしらの力を残すべく歌曲として制作した。
2007.08.04
夏と言えば、やはり海水浴系の歌曲がよく聴かれるものである。
そして皆さんの中にもそういう場所へ出掛ける方々もおられるだろう。
気分が最も高揚する季節と言える。
そのような交流により感情を高める事も大切であろうが、
時には静かに、懐かしい想い出に耽る事も良いものではなかろうか?
夏は情熱の季節でもあり、また空想の季節でもあると思う。
ふとした夕暮れ時に、想い出が甦ってきた時は、
本アルバムの歌曲も思い出してほしいと思う。
懐かしいメロディーがそこにあると思う。
2007.07.28
本アルバムの歌曲、「出町柳」も夏の情景を意識して作曲したものである。
出町柳とは、京都・左京区の賀茂川と高野川がYの字に交差する地点で、
何とも不思議で興味深い形におさまっている。
川には飛び石が並んでいて、岸から岸へ渡る事が出来る。
見ているだけでも涼しげな空間である。
夏休みになれば子供達が川遊びを楽む声がする。
夕日が川に映る。セミが鳴いている。
とてもノスタルジアな時間が漂っている。
そんな懐かしい想い出が甦ってきそうな一曲である。
2007.07.21
先日17日に祇園祭・山鉾巡行が執り行われた。
祇園祭とは京都・八坂神社をはじめとする牛頭天王を祀る神社の祭礼の事である。
本アルバムの歌曲「祇園祭」は、本家のお囃子にくらべ、
ヘヴィーでアップテンポなものになっている。
作曲当初は本家と同じようなスローなリズムで構成された歌曲であったが、
曲調的にあまりにもそのまま過ぎると感じたため、
あえてこのような新しい形で表現しているのである。
とはいえ----定期的なリズム感・日本の夏・祭の情景----
といった雰囲気は如実に再現されていて、
違った角度から祇園祭を楽しむという趣向の作品におさめられている。
「夏のお供」に如何であろう?
2007.07.14
現在、京都では祇園祭の宵々々山が執り行われている。
これは祭の一番舞台でもある山鉾巡行の三日前夜を意味する。
今、クライマックスに向けてヴォルテージが益々高まっている。
本アルバムにも「祇園祭」という歌曲がおさめられている。
ドラムのリズムは終始一定で、定期的なリズムを生み出している。
本家の祇園祭のお囃子も一定のリズムで、
聴く者をトランス状態に導くようである。
定期的なリズムというものは、人々を快に向かわせる何かがあると思う。
2007.07.07
本日7月7日は「貴船の水祭り」である。
京都北山の貴船神社にて執り行われる。
水の恩恵に感謝を捧げ、水徳をたたえ、恵みを祈る祭である。
本アルバムにも収録されている「貴船山」がまさにその場所である。
さらに京都では夏に入ると、祇園祭、大文字五山送り火など、
様々な祭が次々に開催される。
本アルバムでは、そういった祭シーズンの京都情緒を一挙に楽しめる内容となっている。
そういう意識の中で本アルバムの歌曲に聞き入れば、
どこか懐かしい、良き思い出にふれるような不思議な空間にたどり着けると思う。
2007.05.19
『ボーナストラック』(13〜99)
この曲は元々「お祓い用の楽曲」として制作した。
13トラックから99トラックまで纏めて1曲として考える。
邪気祓い、精神統一、環境音楽としての役割に充てている。
それ故に「おまけの曲」であるにもかかわらず、
実は本編の12曲より内容の深いテーマに基づいて作られている。
この奇怪な曲調の根底には様々な理念が込められている。
この一曲で一冊の書物が書ける程、語りたい事が沢山ある。

この曲は「天上界」をテーマにしている。
天上界とは、ある一説によれば、
「人間の心に囚われのない自由で平安な状態を表した比喩表現である」
と示されている。
天上界というのは、どこかにある別世界の事ではなく、
人間の実生活の心理状態の移り変わりを表した比喩表現だという考え方である。
ならば皆さんもこれまでに幾度となく天上界を体験しているのだ。

さてこの曲を雅(みやび)と捉えるか?
または奇怪と捉えるか?
それは皆さんの感性に任せるが、
要は天上界にはそういった美醜を区別する概念もなく、
何の囚われもない自由な流れが淡々と存在しているだけなのだ。
この曲は雅でもなく奇怪でもなく、
ただあるがままに自然に存在しているだけなのだ。
しかし人間はそういったものに、先入観を持ち、固定概念を掲げ、
これは良い、あれは悪いといった区別をつけ続けてきた。
だが天上界にはそういうものはなく、
欲と我が存在する事もなく、
自と他を比較する事もなく、
美と醜を差別する事もなく、
あるがままを素直に捉え、
あるがままに自由である。

終始BPM60という時計の秒針と同じ速度で演奏されるこの曲は、
聞けば聞くほど、その一定のリズムにウトウトと心地よく、
あなたを精神界へと導くであろう。
99トラックから後は、
同じ唱文が延々と繰り返される。
これは聴く人の心を無心に近づける作用を図って制作した。
まさに経文と同じ役割を受け持っていると考えて頂きたい。
そしてあなたの心の囚われが「無」になった時、
この曲の本当の価値を感じる事であろう。
2007.05.05
『貴船山』
この曲は「補助」というテーマに基づいて構築されている。
どれだけ才能があり、成功を収めたとしても、
ぞれは自分一人の力ではない。
周りの多くの助けがあっての事である。
先人達の優れた智慧を頂いて、我々は生きているのだ。
自惚れに対する自省を促した歌曲である。
パラシュートをつけ、貴船の山頂から飛び立つ様は、
徐々に腰をひくく、謙虚になっていく様を表現している。
アルバム本編のラストを飾るに相応しい爽快な曲調。
謙虚なる人は、やがて悟りを得て、
この曲調と同様の爽快な世界へ導かれるであろう。
2007.04.14
『陰陽師』
この曲は「防衛本能」について歌っている。
これほどに科学が発達した現代においても、
明日の事は分からない。
人というものは、この「分からないもの」に対し、
とりわけ恐怖心をおぼえるという。
占いとは、この恐怖心を開放する為に生まれたものではなかろうか?
この世のものは全て「科学」で解明出来るかと言えば、
そういうわけではなく、
また「哲学」で解明出来るかと言えば、
そういうわけでもない。
すなわち己の身を守るものは「科学」でも「哲学」でもない。
そう、人智を超えた何らかの力なのかも知れない。
我々は本能的にそれを感じているのである。
その事は今も昔も変わっていない。
2007.04.07
『丸竹夷』
この曲は「整然」をテーマに歌っている。
整ったものには、ある一定の大いなる力がある。
この世の全てのものは、生まれたての時は綺麗に整っていた。
だが日常の不純な心理の積み重ねで、
気付けば形が変わってしまっている。
人の心は特にその変形が著しい。
それは全ての人間に共通している。
子供の頃の純真な気持ちを思い出す・・・・・
そんな想いを込めた、「わらべうた」である。
2007.04.01
『蚕之社』
この曲は「意思伝達」について歌っている。
人間には言葉がある。
とても優れた意思伝達法である。
だが何時においても、言葉だけが全てではないと思う。
時に言葉では表せない素晴らしい感動に出会う事がある。
そのような時に正確な言葉で理論立てて伝えられるものではない。
魂の叫びとでも言うべきか、
思いのままの表現法で伝えれば良いと思う。
2007.03.25
『出町柳』
この曲は「輪廻」について歌っている。
我々は違う次元からここへやって来て、
また違う次元へ旅立ってゆく。
この世の中は実に循環によって成り立っている。
何事も全てループしている。
一定のものはなく、常に流動的で、
同じ周期で廻っている。
この世は循環によって成り立っている。
我々自身も生まれ変わりという「概念のループ」を、
まさに今現在も廻り続けているのである・・・・・・・
2007.03.07
『河原町』
この曲は「存在意義」について歌っている。
世の中見渡せば、自分にとって癇に障る人間ばかりに思える。
正しいのは常に自分だけで、他人の悪がとりわけ目につく。
自分自身も実力以上に見せようと、背伸びをしたり、
自己中心的になったり、自分勝手に生きているのに、
やはり自分だけが善人で、他人は悪に見える時がある。
だが皆それぞれ意味があってこの世に生を受けているのである。
許し難いあいつも必要だから存在しているはずだ。
プライドの高い自分も意味あって存在している。
お互いに皆あるがままでよいのかも知れない。
そのままでこの世にとって大切な存在なのかも知れない。
2007.03.03
『祇園祭』
この曲は「催眠」をテーマにしている。
お祭りのリズムというものは単調で定期的で、
どれもトランス状態に導く作用がある。
現代社会を生きていく上で我々はしばしば、
ストレスに遭遇してしまう。
出来ればマイナスな感情を持ちたくはない。
我々は時に良い意味での現実逃避が必要なのだ。
ウトウトしたこの状態こそ、
現実をわすれさせてくれる、
自分だけの楽園への入口なのである。
2007.02.26
『産寧坂』
この曲は「現象」について歌っている。
我々の人生は常に現象の連続で構成されている。
「この世を形作る材料はまさにこの現象である」
といっても過言ではないくらいだ。
そしてその現象の原因は全て自らが作り出している。
たとえ何が今、身の周りに起こっていようと、
それらは全て過去の自分の心理状態のあらわれである。
あなたが過去思っていた事、
それが今のあなたである。
2007.02.20
『清水寺』
この曲は「均等」をテーマにしている。
人は時に「清水の舞台から飛び降りる」という勇気も必要だが、
これからの世の中は、「石橋を叩いて渡る」慎重さも必要だ。
特に現代は内面優位の社会になってきている事から、
先ず相手の心理を理解する必要性が以前より増してきている。
ひと昔前のように行動力ある人間だけがもてはやされるとは限らない。
この曲では行動力や即決を推奨しているように見せかけ、
実は警戒心の必要性を示唆している。
特にこれからの世の中、勇気と慎重さの均等を保つ事が重要ではなかろうか?
2007.02.17
『京都塔』
この曲は実に「SM」をテーマにしている。
とはいえ、妄りに猥雑な内容を誇張しているわけではない。
SMという世界を突き詰めていくと、ついには、
奉仕という地点に辿り着く事に気付いたのだ。
あなたの優しさは本当の優しさか?
奉仕とは実は奥が深いものである。
そして奉仕には色々な形がある。
各人に応じた奉仕を施す事が本当の思いやりという事になるのだ。
2007.02.14
『平安京』
この曲は「持続力」をテーマにしている。
継続は力なりという言葉がある。
京都は1200年もの永きに渡り、首都であり続けた。
たとえ平凡な力であっても、それを延々と続けるならば、
いつか特別なエネルギーになる。
京都が我々に教えてくれた事。
それは・・・・・・・
何事も続けてさえいれば、いつか奇跡が起きるという事。
2007.02.10
『羅生門』
この曲は「初心」の大切さを歌っている。
人々は成長するにつれ、野心を募らせ、欲望に走る。
街中は開発にとり憑かれている。
なぜこれほどに発展にこだわるのか?
何か大切なものを置いてきていないか?
人は皆、、はじめは純粋だったのに・・・・・
その頃の気持ちを思い出そう。
2007.02.07
リリースも完了したという事で、
これより曲解説をさせて頂こう。
次回更新より1曲ごとに、
どのようなテーマに基づいて作曲されたか、など、
様々なストーリーを交え、お伝えしていこう。




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