学 園 催

1stアルバム解説・制作記

1stアルバム『陰陽師』の製作から
未来へ向けての全ての歴史を綴っています
本アルバムは、陰陽師の都「京都」を舞台に
「占い」「呪い」に纏わる物語をPOPにまとめ
そのゆかりの地を巡礼するコンセプトアルバムとなっています。

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2006.08.11
(前回つづき)
では占いとは如何なるものであるか、
私の解釈も交え一つ一つ ゆっくりと解説していこう。
さて私は年間、数名の依頼を受けて実占し助言・施行している。
そしてその際、私は依頼者に毎回述べる言葉がある。
それは、
「占いは、当てるものでも当たるものでもない。
全て真に受けてはならない、
かといって無視する訳にもいかない」
占いとは、そういうものであると、、、、
皆さんはこの意味がお解りだろうか・・・・?(つづく)
2006.08.12
非常に言いにくい事だが、、言うことにしよう。
実のところ占いは100%の確率で的中するものではない。
これはどの占いも一緒である。
的中しない確率の方が高い。
そう、的中しない確率の方が高いのだ。
しかしだからこそ良いのだ。
じっくり考えてみれば解るはずだ、
もし占いが完全なる絶対的なものだったら、
この世は占いが全てになり、
占的な概念に支配され乱のもとになるであろう。
そう、的中率が五分五分だからこそ乱も起きる事なく、
バランスがとれているのだ・・・・(つづく)
2006.08.17
前回は占いの的中率が五分五分である事をお話した。
こう言うと占いに完璧性を見出していた生徒諸君には、
いささか拍子ぬけな気分を与えてしまったであろう。
しかし、さらに考えてほしい。
五分五分だということは、
半分は当たっている事になるのだ。
そしてそれを理解した上で改めて占文を読めば、
その内容が全くの的外れでない事に気付くはずだ。
そう何度も言うように五分は的中しているのである。
ここが重要だ。
完璧なものではないが、
しかし確実に参考になるもの。
占いとは、完全無欠ではないものの、
何かの助けになるものなのだ。
人生を生きぬくためのヒントである。
例えるなら天気予報と似た存在であると思う・・・・・(つづく)
2006.08.20
前回でも述べたように、
占いは天気予報のようなものである。
天気予報も実のところ、明日の天気を完璧に言い当てる事はない。
というのも、例えば、
明日、何時ジャストから雨が降り出し、何時ジャストにやむ、
というように時間まで的確に的中させることは未だかつてない。
的確に知ることができれば もちろん我々にとっても何かしら便利ではあるが、
今のところ現代の科学力を総動員しても、そのような事を聞いた事はない。
だけど「明日のだいたい夕方頃から雨が降り出す可能性がある」
という事くらいは予報出来る。
事前にそう分かっていれば、
「明日は一応雨具を持っていくか」という風に、
大いに生活に役立てる事が出来る。
完璧でなくとも、とても参考になる頼もしい存在、
それが 「占い」 なのである!(つづく)
2006.08.25
前回「占いは完璧ではないが、とても参考になる天気予報のようなもの」であると解説した。
現代社会において、この「参考になる」という点が何より重要であると思う。
だから中宮貞子女帝の占いでは、運勢を言い当てる系のいわゆる予知的な占いではなく、
「こういう事を参考にして今日を生きよ」という啓発的な形式をとっている。
このご時世にパフォーマンスのみを誇張したような予言じみた言い当て系のお告げをするより、
すぐに役立つワンポイントアドバイスをする方が理にかなっている。
みなさんも、そういう速く分かるものを求めているはずだ。
だから私は万人に共通して参考になる占文を毎日書き続けている。(つづく)





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